「家庭連合」の研究。

「世界平和統一家庭連合」は神に帰れ。

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聖フランチェスコの死とアボニムの聖和

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アッシジ 夕映えのサンタキアラ聖堂

 

聖フランチェスコの死とアボニムの聖和  

 

 

 

永田正治 masaharu nagata

 

 

 

 聖人の死は、「あ、死んでしまった」

私たちは、アボニムの聖和が、もっと栄光に満ち、恵み多いものだと想像していました。よもや、あんなにも辛く、あっけないものだとは思ってもみませんでした。

しかし、歴史をみると、聖人たちの死は、アボニムの聖和以上に辛く、あっけないものだったのです。

エス様は救い主、万軍の主だと弟子たちは信じていました。それが、エルサレム入城後、兵士に捕らえられ、翌日、あっけなく十字架で殺されてしまいました。弟子たちは、突然の悲劇に直面し「あ、先生が死んでしまった」と、茫然自失し、全ては終わったと思ったに違いありません。

お釈迦さまも、旅の途中、信者の家で食を饗され、食中毒を起こし、あっけなく死んでしまいました。特に、数千年に一人あらわれるような偉大な聖人であるほど、なぜか、その死はあっけないものでした。

ここで取り上げる、イエス様ともっとも似た聖人といわれる聖フランチェスコも、辛くあっけない死を迎えたのです。

 

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聖フランチェスコは最初のルネサンス

 

塩野七生氏は『ルネサンスとは何であったのか』で、フランチェスコルネサンスの最初の重要人物と言いました。これは達見です。フランチェスコは、人々に、聖書と向き合い、「愛の神」を信仰することを説きました。その思想をイタリア語で分かり易く庶民に説明したのです。

ルターが聖書をドイツ語に訳し、人々に聖書に向き合えと説いたより300年も前のことなのです。フランチェスコはまさに、中世から近世への巨大な橋を架けた人物でした。しかし、そんな偉大な聖人の死も辛くあっけないものだったのです。

1972年につくられた、フランチェスコを主人公にした映画「ブラザーサン・シスタームーン」は、よく史実に基づいていますが、フランチェスコが、家の窓から父の商品である豪華な織物を人々に投げ与える場面がありますが、これは史実ではなく、父の反物と馬を盗み、売り払い、サン・ダミアノ教会修復の資金にしたのです。

怒った父が司教に訴え、聖堂前で、お前を養育するのにどれほど金を使ったかと言ったとき、フランチェスコは人々が注視するなかで、着ていた服を脱ぎ、父に返しました。厳格な中世社会ではあり得ない行為です。

イード司教は自分の外套で裸の体を覆ってあげました。このグイード司教はフランチェスコの良き理解者で、彼がいなかったら、間違いなくフランチェスコは教会から火あぶりにされていたことでしょう。

私はこの場面をみると、ミケランジェロダビデ裸体像が重なります。信仰深いミケランジェロがつくったダビデ像は、世俗の感性を脱した高い精神性をもちます。明らかに、ルネサンス芸術の精神にはフランチェスコの見えざる影響が色濃く反映しています。

 

 

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聖フランチェスコの苦痛に満ちた死


キリスト教随一の聖人と称賛されるフランチェスコでしたが、晩年はあまりにも悲惨なものでした。教皇から修道院設立を許され、積極的に宣教し、目覚ましい発展を遂げました。組織が拡大するや、修道院運営で、フランチェスコの清貧の教えに忠実な厳格派と、会則を修正し実務的な修道院運営を目指す穏健派に分裂し、激しく対立しました。

フランチェスコも翻弄され、ある修道者が同僚を批判するのを聞いて、激しく怒りを発し、その修道者にロバの糞を食べろと命じました。総長の命令は絶対です。フランチェスコも正気を失うほどになり、遂に山に籠りました。

そこで太陽、月、動物などに語りかけ、鳥が説教を聞いたという逸話が生まれました。深く祈祷しているとき、フランチェスコの体にイエス様と同じ両手の平と脇腹に聖痕があらわれる奇跡も起きたのです。

フランチェスコはエジプト宣教のときにかかったトラホームが悪化し、視力が低下しました。教皇の侍医による大手術を受けましたが、麻酔もない時代に、両耳に穴を開けるという無茶な手術を受け、容態は一層悪化し、胃と足が腫れあがり、食事もできなくなりました。

そして1226年、45歳で「私の仕事は終わった。キリストが皆の成すべきことを教えてくださるように」と言い残し亡くなりました。明らかに出鱈目な手術が原因です。手術を受けなければもっと長生きできたはずで、教皇の侍医に殺されたのです。

実は、これはよくあることなのです。日本に宣教に来たフランシスコ・ザビエルも、彼を敵視する役人の侍医におかしな手術を受け殺されました。フランチェスコの死後も、厳格派と穏健派の対立はつづき、修道会は長く混乱しました。フランチェスコは、精神的にも肉体的にも大きな苦悩を抱えながら世を去ったのです。

 

 

聖人の復活 

 

孔子様は、諸国をめぐり徳の政治の実現を目指しましたが、必ず反対者があらわれ、追放されました。そして、故郷に帰り弟子を教え、失意のなかで死にました。

モルモン教の教祖ジョセフ・スミスはいわれない罪に問われ、拘束されているとき、反対派に襲撃され殺されました。

創価学会の初代会長牧口常三郎氏は、政府の宗教弾圧で拘留され獄死しました。

天理教中山みき教祖は、高齢で当局に何度も拘留され、体を弱らせ死にました。事実上の獄死です。

このように教祖、聖人はことごとく辛い死を迎えています。聖人が直面した、罪悪世界の現実は極めて困難だったからです。

しかし、聖人の運命は悲惨でしたが、その苦難のなかで、確固たる内的基盤を築きました。聖人の死後、彼らの崇高な精神は多くの人々から理解され、その犠牲的生涯にふさわしい尊敬を受けることになりました。聖人の真実は、神が歴史を通じ証明したのです。

アボニム聖和後、韓氏オモニは、神の呼称と天一国国歌をかえ、その翌年には、自分が無原罪の独生女で、神の血統、アボニムは有原罪でサタンの血統であるという独生女論を打ち出しました。

死後、アボニムほど深刻な裏切りにあった聖人はいません。

しかし、全ての聖人がそうであったように、アボニムは、正統後継者であられる文亨進二代王によって、メシアとしての栄光を取り戻し、家庭連合の食口たちを独生女論の呪縛から解放するでしょう。

そして、人々がアボニムこそメシア・キリストであることを知るときがくるのです。

どんなに現実が否定的であっても、真理は必ず顕現するということは、聖人の苦難の歴史が私たちに教えているのです。

 

 

おわり

 

*この記事は『サンクチュアリ通信』6月号に掲載されたものです。

 

 

 

【永田正治さんのプロフィール】

1954年東京生まれ。高麗大学歴史学科卒業。崇実大学統一政策大学院修士、啓明大学日本学博士課程修了。慶州ソラボル大学勤務(1997—2007)。慶州歴史文化都市造成計画TF委員歴任。著作に『北朝鮮関連日本書籍の分析』、『徳川綱吉儒教政策』など。日本に帰国後は、信者の異宗教交流により宗教間交流の活性化をめざす「異宗教コミュニケーション」を提唱。「異宗教コミュニケーションのすすめ」、「宗教の復権と異宗教コミュニケーション」、「宗教多元主義と異宗教コミュニケーション-遠藤周作『深い河』を中心に」などがある。

 

 

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