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オウム事件はマインド・コントロール事件ではない!

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写真はチベット寺院のマニ車

 

オウム事件マインド・コントロール事件ではない!   

 

 

永田正治  masaharu nagata        

 

 

 

1.常識的におかしな言葉

 

 7月6日、麻原彰晃はじめオウム真理教事件の死刑囚の死刑執行が行われました。テレビを見ていると、マインド・コントロールという言葉を使うコメンテーターが少なくありません。マインド・コントロールは、医学的にも法律的にも認められない、定義不明な用語です。マインド・コントロールは、人の心を動かすことで、教育やコマーシャルなど、何についてもいえる言葉だと、誰もが素朴に感じます。そんな「何でもあり」の言葉で、宗教の問題を論じるべきではありません

 

 『脳内汚染』の著者である岡田尊司氏は、「このテーマに関する数多くの本が出版されているにもかかわらず、読むに値する著作が極めて少ないということである。怪しげな内容のものや著者の妄想に近いものさえある」(『マインド・コントロール』〈文芸春秋〉2012)と指摘しました。宗教学者の渡邉学氏は、「マインド・コントロール概念は万能化されればされるほど陳腐化されざるをえない」と述べました。

 

このようにマインド・コントロールとは、混乱し、明確な定義がない言葉です。マインド・コントロールは行為する側の悪意を強調します。しかし人々は、ジョークでも使えるような曖昧な言葉だと理解し、意味を置き換え、あるいは差し引いて聞いています。

 

たとえば安倍首相は、「(教育基本法)に指一本触れてはいけないというマインド・コントロールから抜け出して、必要なものは、しっかりと子供のために書きかえる」と発言しました。この「マインド・コントロール」は「思い込み」という意味に置き換えられます。この語は、一種の柔軟性と軽さがありインパクトは限られたものです。

  

 

2.「テロ」も、「回心」も、マインド・コントロール

 

 しかし、宗教は違います。意味の置き換えや柔軟化はできません。宗教は「こころ」が重要で、悪意をもって人の心を支配する教団は、「邪教」以外の意味はないのです。ところが、インターネットで「○○教マインド・コントロール」と教団名を入れて検索してみてください。ほとんどの宗教がマインド・コントロールを行っていると批判されています。

 

 マインド・コントロールは、人が宗教に導かれ、回心し、信仰を深め、新しい信者を導く先輩信者に成長するという、あらゆる宗教者が経る過程を悪意で解釈するものです。マインド・コントロール理論は「全ての宗教に当てはまる」もので、標的にならない宗教はありません。

 

 更に、オウム真理教の「テロ」もマインド・コントロールと捉えます。しかし、テロや殺人に関わっていたのは極少数の幹部でした。朝原は「完全にマインド・コントロールされた人物」であるはずの最高幹部、上祐史浩氏をテロに関与させていません。彼にはテロはできないと判断したのです。テロとマインド・コントロールは別次元のものです。

 

 事件は、武力により日本転覆を謀った人物たちによる無差別テロです。マインド・コントロールなどで説明すべきではありません。それは事件を宗教問題とし、テロの再発防止を妨げる見当違いの考えです。

 

 またテレビなどでは、朝原が「救済」、「修行」、「物質優先の価値観批判」を訴える場面をマインド・コントロールの実態のごとく映し出します。しかし、これらはどの宗教も強調するもので、異常なものではありません。人々がこれを見れば、「宗教=マインド・コントロール」と誤解してしまいます。オウム報道は、オウムしかない凶悪で異常なもの、すなわち、テロと殺人、それを正当化した思想、薬物や器具を使用した危険な修行など、他の宗教には絶対に無いことを中心に慎重に報道すべきです。そうすれば、はっきり他の宗教と区別されます。

   

 

3.はたして、宗教にマインド・コントロールは存在するか?

 

 マインド・コントロール論者は、マインド・コントロールは強力で、抗いがたく、誰でも「異常な人間」に変えられてしまうと人々の恐怖心を煽ります。しかし、宗教にそんなマインド・コントロールが存在するのでしょうか。

 

どの宗教でも、伝道され、信仰の道を歩むことになる人は少ないのです。研修会などに参加しても、長く教団に残る人は十人に一人もいません。マインド・コントロールによって、魔法のようにこの難関をクリアーできれば伝道はどんなに楽でしょうか。マインド・コントロール論では、信仰に入らない多数者の存在が無視されているのです。

 

 また、教団でながく歩んでいる人も無視されます。彼らは「極度に異常な人間」になっている筈で、それを明らかにすれば、マインド・コントロールの実態を暴露できます。ところが「被害者」の証言にも先輩信者の人格について述べた部分は少ないのです。これは矛盾ではないでしょうか。

 

 宗教にとって、良い人格をつくるのは最も大事なことです。人を愛することを先輩信者から学び人格をみがきます。これは宗教の基本でどの教団も同じです。いったい、人格成長を目指さない宗教があるでしょうか。もし、人を異常にするなら問題ある宗教です。しかし、そんな人が集まったら一番困るのは教団で、人が近づかず、発展できなくなってしまうでしょう。

 

人々はある程度、宗教信者の人柄を知っています。それは決して悪質な人物像ではありません。マインド。コントロール論者が異常な人物像を示しても虚構であることがばれてしまいます。宗教者のありのままの姿を見れば、マインド・コントロール論がおかしいことは明らかです。

 

そもそも、人格を破壊するはずのマインド・コントロール後に、人格が悪化しない、あるいは良くなってしまったら、マインド・コントロールとはいったい何なのでしょうか。

 

 マインド・コントロールの証言者は、自分が属した教団に嫌悪感を抱いた人です。しかし脱会した人でも、教団を批判しない、マインド・コントロールされたと思わない人の方が遥かに多いのです。信仰はあっても教団に通わない「休んでいる人」や、再び通い始めるケースも少なくありません。幾つかの宗教を替える「宗教渡り鳥」と言える人が結構いますが、彼らは「マインド・コントロール」では説明できないでしょう。

 

 このようにマインド・コントロール論は、多数を占める様々な立場の人々を完全に無視し、少数者の証言だけにスポットを当てたものです。しかし、証言を聞いた人々は、それが宗教の恐ろしい実態と受け止めてしまいます。

 

 宗教者は、伝道の難しさ、信者の心の交わりの素晴らしさをよく知っています。この論の矛盾をはっきり証言できるのは宗教者です。人々の宗教に対する誤解や警戒心を解くために、宗教者が積極的に「マインド・コントロール」の間違えを発信すべきです。 

 

 

4.宗教の弱み

 

 マインド・コントロールは、信者を家族と社会から引き離し、恐怖を与え、自主性を奪い、依存心を高めて支配すると言います。それではイエス様の言葉を見てみましょう。

 

地上に平和をもたらすために、私が来たと思うな。平和でなく、つるぎを投げ込むために来たのである。- 私よりも父または母を愛するものは、私にふさわしくない。私よりも息子や娘を愛する者は、私にふさわしくない。

 

もしあなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。両眼がそろったままで地獄の火に投げ入れられるよりは、片目になって命に入る方がよい。

 

あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。

 

 まさに、「マインド・コントロールするカルト教祖」の言葉です。これらの言葉の動機にある「愛」は弟子もよく分からず、世間の人々は言動を批判し、キリストを十字架に掛け殺害しました。

 

 宗教を極めた人の言動はあまりに本質的で、人々の尺度では理解できません。これが宗教の宿命で、弟子の裏切りや離反、人々の誤解を生む原点であり、マインド・コントロール論が付け入る弱点です。

 

 孔子様の「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」などは極端な思想です。明恵上人が欲望を断つため自分の耳を削ぎ落としたことなどは狂人の行いです。法然上人が日に七万遍も念仏を唱えたなどは、まさに強力なマインド・コントロールです。

 

 日蓮上人は天変地異と信仰を結びつけましたが、これは恐怖心を煽るカルトの手法です。弘法大師や多くの聖人も苦行をし、神秘体験をしましたが、これも肉体的苦痛を与え、思考力をなくして心を支配するというマインド・コントロール論で批判できます。

  

 世俗の価値観で宗教を断罪したら、聖人の尊い教えや行いも狂気とされ、宗教は否定されてしまいます。もし、「マインド・コントロール」を根拠に宗教を攻撃し禁じていたら、今日、世界宗教は皆、亡んでいたにちがいありません。それが人類にとってどれほどの損失でしょうか。こんな信仰の世界に無理解な理論で宗教を論じるべきではないのです。 

 

 

5.オウム真理教事件はテロ事件

 

 インパクトのある言葉は多用され、独り歩きし、大きな影響力を持ちます。マインド・コントロールという宗教批判語は、20年余り日本で増殖をつづけ、強力な「嫌宗教のコトダマ」になってしまいました。宗教者はその力の前で萎縮するしかなかったのです。マスメディア関係者は、「マインド・コントロール」は、累を宗教全体におよぼすことを認識し、この言葉の扱いには慎重でなければなりません。

 

 オウム真理教は、地下鉄で使用したものよりはるかに毒性の強いサリンを相当量保有し、これが廃されず、東京に散布されていたら未曾有の悲劇が起こりました。オウム真理教の脅威の本質は「テロ」であり、定義も曖昧な「マインド・コントロール」などではあり得ません。また、多くの信者は教団を離れましたが、死刑囚として拘留されていた時でも、サリンテロを救済と確信している信者がいたのです。

 

これは人間の自律性を軽視するマインド・コントロール論では説明できません。

 

 ですから、事件の核心は、テロを肯定する過激主義と、それを実行する信念の問題です。「マインド・コントロール」という、定義も不明確な宗教論で事件を規定したら、暴力的過激主義の脅威が曖昧になり、テロを企てる残党がいたら良い隠れ蓑になります。

 

 また、目的のため大量殺戮も辞さない身勝手な考えという個人の責任問題も曖昧になってしまいます。このようにマインド・コントロール論は、人間や集団、そして宗教を正しく論じられる理論ではあり得ません。

 

 

 以上

 

 

【永田正治さんのプロフィール】

1954年東京生まれ。高麗大学歴史学科卒業。崇実大学統一政策大学院修士、啓明大学日本学博士課程修了。慶州ソラボル大学勤務(1997—2007)。慶州歴史文化都市造成計画TF委員歴任。著作に『北朝鮮関連日本書籍の分析』、『徳川綱吉儒教政策』など。日本に帰国後は、信者の異宗教交流により宗教間交流の活性化をめざす「異宗教コミュニケーション」を提唱。「異宗教コミュニケーションのすすめ」、「宗教の復権と異宗教コミュニケーション」、「宗教多元主義と異宗教コミュニケーション-遠藤周作『深い河』を中心に」などがある。

 

 

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