「家庭連合」の研究。

「世界平和統一家庭連合」は神に帰れ。

    ●基督は、ユダヤ教・キリスト教の伝統の基に使命を果たされます。「聖書」に帰り、成約聖徒としての使命を全うしましょう!

「カトリック教会のカテキズムを学んだ結論」(「家庭連合からの生還」12回連載のその2)

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写真は米国ニューヨーク「セントラルパーク」

 

カトリック教会のカテキズムを学んだ結論」(「家庭連合からの生還」12回連載その2」


●はじめに

 「家庭連合」の霊性がなぜこれほど落ち込んでしまったのでしょうか。その探訪の記録の第二回目。洪蘭淑様の著書を精読した次に私が取った行動は、もう一度「基督教」教義を学び直してみる事でした。実際にはカトリック教会の教義書「カテキズム」を学びました。そこで到達した結論とは?。神様が準備した明治期以降の神霊宗教についても少々触れます。


●前回のおさらい。「洪蘭淑様の著書」の資料的な価値

 「韓鶴子総裁(韓氏オモニ)」の日常的な素顔についての記述資料はほとんどありません。これは考えてみますと不思議な事です。「証し」や「証言」に溢れていて、整理仕切れない「文鮮明総裁(アボジ)」と好対照なのですから。

 したがって、14年間、身内として、オモニと日常生活を共にした「証言」は、信憑性もあり、価値も高いのです。

 そして、なにより、文書全体に流れている蘭淑様の信仰者としての信念に感動しましたし、事態を解決せんと責任を持ち、最後まで勇敢に闘った姿勢に、敬服せざるを得ません。

 

 

●日本神道ユダヤ教の流れである

 実は日本神道を研究していた時期があります。勝共連合の事務局長を務めていた関係上、安倍首相が所属している「日本会議」も最低限学んでおく必要があったからです。「日本会議」は神道系宗教団体が主な構成団体の政治組織です。

 アボジの再臨期の準備のために、神様は日本に多くの神霊宗教を準備しました。神道系では、大本教を筆頭に、世界救世教天理教真光教生長の家などです。そのほとんどが、教祖の「霊界からの啓示」を基に教義が成立している処に顕著な特徴がありますが、古事記の世界そのまま、理論的・体系的な教義がありません。(ここが限界点だと思われます)。仏教系では、立正佼成会創価学会立正佼成会は日本統一教会の創設に多大な貢献があります。(久保木修己会長と西川先生の40日修第一期生)

 いずれの新興宗教も江戸末期頃から神の準備した神霊集団であり、現在の家庭連合よりよっぽど霊格が高いように思われます。

 神道の「鳥居」とユダヤ教の「過越の祭」との関連とか、諏訪神社ユダヤ教の関連性とか興味の尽きないテーマですが、今回は触れません。

 


内村鑑三の再臨運動

 明治期の基督教会では内村鑑三でしょう。

 鑑三が1918年より2年間、「預言者」の如く日本全国を行脚し、基督の再臨を講演した「再臨運動」はつとに有名です。この「再臨運動」が1920年アボジの聖誕のための準備であった事はいうまでもありません。

 内村鑑三が貫いたのが「無教会主義」。「基督の福音宣布」と「信徒の救霊」から逸脱した教会利益中心の「信徒獲得闘争」や「主導権争い」を受け入れがたかったためで、今の家庭連合の体質批判と重なるものがあります。

 


カトリック教会の教義書「カテキズム」を読む。

 なぜ、カトリック教会の教義書「カテキズム」を読んだのでしょうか。私は霊的五里霧中の中にあって「家庭連合」がダメだったら、一時的にせよ「基督教会」に逃げ込み霊的生命を養おうと真剣に考えたからに他なりません。(これはまじめな話です!)

 「なぜプロテスタント教会の教義書でないのか」というかも知れません。答えは簡単で、プロテスタント教会には適当な統一的な教義書が存在しないからです。(共通見解として「ハイデルベルク教理問答」がありますが、これは骨の骨しか記述がありません)。

 カトリック教会のカテキズム」バチカン教皇ヨハネ・パウロ2世が編纂を指示したもので、1992年の公布。日本語版で800頁にも及ぶ大著です。この教義書は、そのまま「組織神学」書でもあり、信仰指導書でもあります。とても網羅的に編纂されており、学ぶ立場からすればたいへん有り難い本であると感じました。

 


●「カテキズム」の信仰指導書としての価値に驚いた。

 正直、カトリック教会の倫理基準の高さ、明確さに驚きました。現在の「家庭連合」では、もはや実践的「信仰指導」「霊的牧会」なるものが存在しないのですから。

 世界中の信徒が基準とする「統一的公文書」が存在することが「カトリック教会」の凄さだと思います。「家庭連合」では「性倫理」についての明確な指導を誇る向きがありますが、「カトリック教会」の方が、具体的かつ実践的であると今回思いました。(詳細には今回触れませんが)。

 また、聖職者の役割を明確に定義していることも、カトリック教会の特筆すべき特徴の一つで(賛否両論ありますが)、罪に対する告解制度は、信徒の心霊を維持する上で計り知れない価値があります。残念なことに、現在の「家庭連合」では、「お札」に書いてお焚き上げするしか方法がない(涙)のですから。皆が清平詣でをするよう、そのように仕向けたのかもしれませんが・・・

 


●「原理講論」こそ絶対不変の「原器」である。

 「カテキズム」の教義内容の詳細検討は今回しません。結論だけ述べますと、カトリック教会(プロテスタント教会も同じ)が「三位一体論」「キリスト論」の視点から、「統一原理」を正当教義と受け入れることは、ほぼあり得ません。

 いくら教義論争をしても論争は平行線をたどるばかりです。それはお互いの共通「原器」が違うからです。しかし、これはカトリック教会の「原器(カテキズム)」に照らし合わせた場合に導かれる結論ですから、統一教会側の「原器」が世界標準であると公認されれば、いずれ諸問題は解決します。

 「カテキズム」「原理講論」を比較対照して読み解く事で、「原理講論」が如何に「基督教」の矛盾点や弱点克服に成功した真理体系であるかを、恥ずかしながら、今回再度確信することが出来ました。(基督教会に入会せずにすみました(笑)。)

 統一教会の「原罪論」や「復帰原理」の理論体系は、現在の基督教神学には存在しないのです。

 


●おわりに

 距離を測る単位である「メートル」には、「メートル原器」なるものが存在します。地球の緯度の基準点は「グリニッジ天文台」に原器があります。

 同じように、「神学理論」の「原器」は「原理講論」です。これ以外に選択の余地はありません。

 今回、カトリック教会の「カテキズム」を学ぶ事で、私は一番大切な「原器」が何んであるかを確信することができました。これを基準とし、応用展開することで諸問題の解決を図ることが出来るという希望と共に・・・。

 少しづつ、解決の糸口が見えてきました。ただ、この時点では、「家庭連合」の一番の問題点(核心部分)である、「独生女論」には到達していませんでした。

 まだまだ視界は晴れず、心霊は枯渇し、悶々とした状況・・・に変わりはありませんでした。

つづく・・・。

 

 

第2回目 おわり

 

 

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