「家庭連合」の研究。

「世界平和統一家庭連合」は神に帰れ。

    ●基督は、ユダヤ教・キリスト教の伝統の基に使命を果たされます。「聖書」に帰り、成約聖徒としての使命を全うしましょう!

実録。激突!中核派。(余は如何に過激派と闘ったのか)

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実録。激突!中核派
(余は如何に過激派と闘ったのか)

 

■■■はじめに

 「家庭連合」研究の管理者による自らの信仰告白。東北大在学中に左翼過激派「中核派」と激突した記録。「勝共運動」の原点とは何か。「信仰の本質」とは何か。最後に悔い改めた内容とは・・・。

 

■■■第一章 召命(しょうめい)

その1:キリスト教か。左翼過激派(革命家)か。

1)結論は「基督教」と「聖書」を学んでみるしかない

大学受験を控え、「人はなんのために生きているの?」と人生問題で悩みました。
「人生論」を手当たり次第読みましたがどこにも根本的な回答はありません。

その中でも心に残ったのがトルストイの「人生論」と、キュリケゴールの「死に到る病」。人生論を読んでの結論は「基督教」と「聖書」を学んで見るしか分からないぞ、でした。


2)一方でとても関心があった「共産主義」「全共闘


一方で「共産主義」とか「革命」などの言葉に妙に興味を覚えたのも事実です。「学生運動」を知りたくて「全共闘時代」の著作も読みました。

国家権力と闘わなければならない!なんて真面目に考えていました。
「統一原理」と出会わなければ、私は左翼の活動家になっていたと思います。

 
その2:「聖霊体験」「神様の涙」「再臨主」

1)原理研究会の「2DAYS」「7DAYS」へ参加

私は地元の国立大に合格したものの入学を止めました。仙台に行きなさいという胸騒ぎがしたからです。

仙台の大学に通っていた姉のアパートに転がり込み、予備校通いを始めました。

そこに偶然「聖書を学びませんか。」と東北大の学生が訪ねてきたのです。私はすぐさま参加を決めました。

その方はびっくりして聞き返しました。
「ほんとうに参加してもらえるんですか・・・」。



2)「六千年(復帰歴史)の神様の涙」


六千年(聖書歴史)を人類救済ために、信じられないほどの苦難の路程を自ら開拓してこられたのは、他ならぬ「神様」ご自身でした。

私は神様をまったく信じていませんでした。

初めての祈祷会で神様に「たいへんご無沙汰しておりました」と祈った時、とめどもなく涙がこぼれ落ちました。


3)「絶対に贖(あがな)うことが出来ない人間の罪」


「堕落生本性」を聞き、誰がこんなこんな人間心理を、巧妙に理論化したのだろうと、感心しました。私の心の中の正体を見事に暴かれていたからです。

不思議に霊界や悪魔(サタン)の存在に、あまり違和感はありませんでした。

なぜなら、私の母親が、神道系の霊能者とお友達だったからです。霊界の存在は、否定することのできないごく普通の情景だったのです。


4)「神は地上に再臨主を送られた」

私は世界史を専攻していたので、歴史の同時性の精緻さに、歴史の背後で「人類歴史」を支配する神の存在を否定することは出来なくなりました。

そして、ああ、自分の学んできた、歴史、思想、哲学の全ての謎が解かれた。この理論体系(統一原理)を解明した方こそが、再臨主(メシア)に違いない!

そして、最終日、「主の路程」を聞き、ただただ涙しました。

聖霊体験をして、背中の細胞が踊りをおどっているようでした。
目にするすべての山川草木が、みんな光輝いて見えます。

天国ってこんな世界なんだろうな。地上にいながら、別次元の世界をさまよっている自分が、不思議で不思議で仕方ありませんでした。

 


その3:君の天命は、大学で左翼過激派と闘うこと。

1)原理研究会東北大学舎(青葉学舎)に入寮

私はアパートから「原理研究会」の学舎への入寮を決めました。

原理研究会(略称:原研)」は統一教会の学生組織で全国に2000名ほどの学生が所属していました。当時会長は太田洪量氏でした。東北大学の原研の大学生は40名ほど。前年まで徳野英治氏が東北大原研の責任者を務めていました。

東北大は拠点大学という事で学舎には高校生部(予備校生も含む)を併設していました。


2)学舎長から面接時に言い渡された事

新任の学舎長は九州大原研から赴任したばかりの村田学舎長でした。(村田さんはその後、勝共連合の北海道管区長を務めた方です。)

その村田学舎長に言われました。

君の第一番目の使命は東北大に入学することである。そして入学したら左翼の過激派と命がけで闘はなければならない。学部は一番暇(ひま)でみ旨に貢献できる「経済学部」に入学しなさい』。

「経済学部」を目指しなさいというのは、さすがに想定外でした。なぜなら、私は高校で「理系クラス」だったのですから・・・。



●●●第二章 試練(しれん)

 その1:入学オリエンテーションの洗礼
共産党の青年組織「民主青年同盟」)

1)東北大学経済学部に入学する

私はとても東北大学に入学できるだけの実力はありませんでした。そこで、せめて一日最低12時間勉強することを日課と定めました。「私にはとても東北大に入学できる実力はありません」と神様に祈ったところ、「大丈夫。おまえの共通一次は800点」となぜか示されました。

実際自己採点したら、なんとぴったり800点だったのです。


2)新入生歓迎オリエンテーション

入学早々、大学当局主催「新入生オリエンテーション」が大講堂で開催されました。

大学当局の連絡事項のあと、自治会(*実態は民主青年同盟が支配)からの注意事項ということで、以下のビラ学生全員に配布されました

私は心臓が飛び出さんばかりに「驚き」「青ざめ」そして「憤慨」しました。

原理研統一協会文鮮明」血分け淫乱の邪教 
洗脳集団の勧誘があったら110番!

原理研統一協会 「印鑑・壷・多宝塔」で被害続出 
霊感商法」に断固NOを!  

原理研勝共連合自民党 KCIAの手先。
スパイ防止法」に断固NOを!

大講堂には経済学部の学生・教職員、総勢で500名はいたことでしょう。

こんなビラを学生全員に配ったら、どんなに神様が嘆くことでしょう!「この共産党のやつら絶対許せん!」私は心の中で叫びました。

ところが、大講堂の500人の中で神様のみ心を知るのは私一人他に誰も頼ることができない神様実力の無い私にしか頼れない神様私は自分がどんなに無力な存在かを思い知ったのです。

(*民主青年同盟は日本共産党の学生組織。共産党大学生協も支配していた)


その2:教養部を実効支配していた「中核派

1)集団団交で教養部長を血祭りに

三里塚闘争日帝を打倒せよ!中核派」。10mもある巨大ポスターが教養部棟の正面外壁に貼られていました。このポスターこそが「中核派」の大学実効支配の象徴でした。

中核派」は大学当局に無理難題の「要求書」を突きつけ、集団団交(つるし上げ)で、「教養部長」を血祭りに上げました

もはや大学当局も教職員も彼らに刃向かうものは構内に誰もいなかったのです。


2)学生寮とサークル棟を占拠し拠点に

日就寮」「明善寮」という二つの寮を支配し、教養部構内のサークル棟の一角を占拠し、鉄パイプを隠し持っていました。

学生ではない5名の「職業的革命家」が常に学内を巡回していました。

東北大学は全国の大学の中でも彼らの有力な拠点大学だったからです。


その3:「原理研究会」メンバーに対する過酷な「迫害」

1)見せしめにされた原研の女子学生

ほんの一例を紹介します。

中核派」は、日常的に、授業前に乱入してきては「チラシ」を配り、教壇で三里塚闘争参加のアジテーションを行うのが日課でした。

教授は教壇の脇でだまって見ています

ある日、運悪く、中核派がアジをしている教室で、原理研究会の女子学生が、中核派メンバに見つかってしまったのです。

中核派の活動家は「おまえは原理だな!」と大声で叫ぶや、文房具と教科書を窓から外に投げ捨てました

そしてその女子学生の腕をつかみ、力ずくで教室から追い出しました

中核派」の見せしめでした。

そこに居合わせた教授も学生も、誰一人として、彼女を助ける者はいませんでした。


その4:激突!「中核派」VS「革マル派」(私は一部始終を見た。)

1)「革マル派」が教養部棟前広場で「ジグザクデモ」を行う。

入学した年の6月、私はたまたま居合わせた教養部棟2階・談話室で、映画の中の一コマのように次の情景を神様に見せられました

最初に談話室で歓談していた学生が叫びました。「革マル派だ!

談話室の窓の外では、見慣れない30名ほどの革マル派活動家が「竹ざお」を持って隊列を組み、ホイッスルに合わせて規則正しくジグザクデモ」を始めたのです。

(*「中核派」も寮の新入生を無理矢理動員し、50名規模で「ジグザグデモ」の示威行動を何度か行っていました。)


2)「中核派」5名が殴り込み。血みどろの大乱闘

革マル派」が「ジグザグデモ」を開始してから約5分後のことです。

鉄パイプを手にした5名の「中核派」が奇声を上げ全速力で走りながら「革マル派」の隊列に突入したのです。

待ち構えていた「革マル派」の「竹竿」で一人がもんどり打って仰向けにひっくり返りました。

他の「中核派」は「竹竿」をかいくぐり、鉄パイプで容赦なく「革マル派」をめった打ちにしました。

そして「革マル派」「中核派」両者入り乱れての流血の大乱闘になりました。

お互いの衣服はぼろぼろに破れ服は赤く染まりました

あたりは凄惨な修羅場と化しました


3)「革マル派」がホイッスルの音と共に撤収。

両派入り乱れての乱闘からさらに5分

革マル派のリーダーのホイッスルとともに、「革マル派」が密集隊形を組み、「竹竿」で「中核派」を威嚇しながら、ゆっくり退却を始めました

中核派」も息をゼイゼイさせながら、等間隔を維持し「睨み合い」ながら前進します。

革マル派」は正門前までじりじり後退すると、踵を返すように準備していたワゴン車にすばやく分乗、あっという間に視界から消えました


4)あたりは元の静寂に。そして誰もいなくなった

ジグザグデモ」から15分後、サイレンを鳴らした県警のパトカーが教養部正門前に到着した時には、「革マル派」「中核派」の活動家の姿はどこにもありませんでした。

民主青年同盟」の数名が、正門前に陣取り、警官が構内に入るのを抗議し何か叫んでいます。


5)私はこの情景を見ながらビビって足がすくんだ。

こんな「キチガイ集団」と関わり合っていたら命がいくつあっても足りません。
正直、私は意気消沈し、震えおののきました。

ヨナが神の命にそむき、タルシシ行きの船に乗ったように、私も神様に訴えました。
神様、私はあまりにも無力です。とても共産主義者と闘えそうにありません!

けれど、神様はヨナを大きな魚の腹の中で3日3晩ヨナを養ったように、1年かけて幼い私たちを「訓練」してくれたのです

 


■■■第三章 鍛錬(たんれん)

その1:我々の勝利が「国際共産主義」解放を導く「信念」を持て!

1)大学構内は神とサタンの最前線

東北大での共産主義克服の闘いを「国際共産主義」解放の条件として下さい』これが我々の終始一貫とした祈りの題目でした。

東北大で流した「血」と「汗」と「涙」は、小さな祭物だけど、ここで尽くした精誠がかならずや「ソ連」や「中共」「北朝鮮」解放の条件となりますように

この祈りと確信だけが、我々を支える全てだったのです。


その2:左翼を「実力(武力)」で制圧せよ!
(韓国古来の武術「正道術」を修練する)

1)教養部を歩くと「死の匂い」がした

教養部に一人で入っていくときは、背筋が震え「死の匂い」がしました。

極度の緊張感に襲われ「恐怖感」を克服するのに必死でした。(実際、そのころ、京大や広島大でも内ゲバで学生が死んでいた)

私は「共産主義政権下」で地下宣教活動をしている「宣教師」も同じ緊張感の中で生きているに違いないと思いました


2)左翼を実力(武力)で制圧せよ(「正道術」を学ぶ)

付け入る隙があると見るや、とことん付け込む」それが「左翼」の本性です。

実際アボジは日本の勝共運動の草創期、「銃砲店」を作りました。

信仰と信念だけでは共産主義を凌駕できないのです

私たちは、学内で中核派に鉄パイプで襲撃されてたとしても、自分の身は自分で守る必要がありました

そこで私たちは、韓国古来の武術「正道術」を、徹底して修練しました。

この武術は「実践的」なものです

左翼が武器を持って襲撃してきても「一撃必殺」で制圧する実力を身に付ける必要があったからです。

その3:共産主義者を「思想戦」で凌駕せよ!

1)李相憲先生の「勝共思想」を徹底的に学ぶ

次に、神を否定する「疑似宗教体系」である「共産主義」を、完膚なきまでに「思想戦」で克服する必要がありました。

共産党宣言」「帝国主義論」「科学的社会主義」(当時の日本共産党のテキスト等)の基本文献をふまえた上で、李相憲先生の「勝共理論」を徹底的に学びました。

勝共理論」を学べ事は、実は、我々の信仰を強めてくれる事に繋がります

なぜなら神を抹殺し、霊界を否定した究極の「サタン思想」である「共産主義」は神主義の「統一原理」を逆立ちさせた理論であることを確信するからです。


2)内村鑑三から「聖書」を学ぶ

私にとって「図書館」は、神様がヨナを三日三晩養った鯨のお腹の中」でした。

そこには「内村鑑三全集」があったからです。

内村は1918年から「再臨運動」をおこなった人物で、まさしく日本の洗礼ヨハネ的な人物です。

内村鑑三から学んだ、基督教の信仰観聖書解説私の信仰の土台を築いてくれました。今でも困難な事に出会うと私は「聖書」を読みます。

 

 

■■■第四章 宣教(せんきょう)

 その1 教養部「正門前」情宣活動開始(1983年4月~)



東北大原研は、共産主義対策を重視し、学舎を教養部から至近の川内三十人町に移しました。この学舎には正道術用の道場も完備していました。

私も含めた3名が「共産主義研究会」(原研内の左翼対策チームの名称)の専任メンバーとして任命されました。

以後3年間にわたり継続的に続けられた情宣活動の概要は以下に記します

1)「情宣活動」の準備。
朝7時半、教養部正門前に情宣用の「スピーカー」一式と組み立て式「立て看板」をワゴン車で運搬。設置。

2)「情宣活動」の開始。
最初に東北大校歌を流す。(中核派約10名・公安約5名が道路向かいで対峙。)

3)「情宣活動」マイクで第一声。
親愛なる東北大学の学生・教職員の皆さん。私たちは、共産主義思想、マルクスレーニン主義が「神を否定し」「人類を破滅に導く」「悪魔の思想」であることを暴露し、克服するために、情宣活動を開始しました。

4)中核派と直接「論戦」開始。
道路を越え、ヘルメット、マスク姿の中核派と直接対峙し、論戦を開始。

5)この情宣活動は、大学開講日には休まず、その後3年間続けられました。


その2「共産主義思想」を克服する「思想戦」開始

1)中古のオフセット印刷機で「理論ビラ」を印刷

共産主義」思想克服のために、共産主義の間違いを示す理論ビラ」を作成する必要がありました。

東北大原研にあったのは、地下室に設置した中古のオフセット印刷機一台

この中古のオフセットは雨の日湿度が高くなると、紙づまりは日常茶飯事でした。

B4わら半紙1000枚印刷するのに、優に1時間もかかるのです。

これじゃ「ガリ版印刷」の方がまだ早いぞ、と笑ったものでした。
(今なら「リソグラフ」なる優秀な簡易印刷機があるのですが・・・。)


2)ビラ配布で毎日繰り返される「イタチごっこ」

チラシが刷り上がっても、これを配付するのがまた至難の業でした。

早朝メンバー数人で手分けして、教養部棟に潜入するのですが、いつも「中核派」や「民青」の包囲網にひっかかり、笛を鳴らされました

せっかく配付したチラシは全部回収された上に、手に持っていたチラシをたたき落とされ足で踏みつけられたものです。

一旦構内から外に出て、また頃合いを見計らって、配付を始めます。
ところがまた見つかり、胸をこづかれ構内から追い出されました。

この際限のない「イタチごっこ」が毎日繰り返されたのです


その3 多発する中核派妨害工作

「情宣活動」開始後、「中核派」と「原理研究会」は、一触即発の緊迫した状況になりました。

中核派」の方針『「教養部」は「中核派」の聖域。「原理研」は強制的に学外に排除する』でした。

1)中核派に教養部の講義棟の裏に引き込まれ、顔面を強打され血を流した。

2)雨の日掲示板の前で中核派の女性から、持っていた傘の先で胸をさされた。

3)公安警察から「中核派が、学内で伝道している特定の女子学生を襲撃する計画を立てた」と通報があり、その学生を待避させた。

 



■■■第五章 克服(こくふく)

 「12・1事件」(中核派との死闘の決着点)


1)右手親指を複雑骨折

1985年12月1日。氷点下の凍てつく寒さの日。

教養部正門前で情宣を終了し、正門前で中核派メンバーと対峙し押し問答の小競り合いの中、私の左手親指に激痛が走りました。

見ると親指が関節と反対方向にねじ曲げられ、親指がぶら下がっていたのです。

すぐに大学病院に急行し、手術を行いました。今でも7針の傷残っています。


2)中核派活動家の名前が判明し逮捕

宮城県警で事情聴取があり、顔見知りの公安警察の人「犯行の瞬間」の連続写真を見せてくれました。

そして言いました。『中核派の専従幹部の今井均36歳。今拘置所で取調中だから本人の確認をお願いします。

マジックミラー越しの取調室の様子を見せられました。

間違いなく、頭の毛の薄い、骨格のがっしりした男。

事件当日、私の右手親指を、力任せにねじ曲げた中核派の男がそこにいました。


3)教養部から中核派外人部隊」の姿が消える

中核派」の「職業革命家」による「東北大教養部生」に対する前代未聞の傷害事件。

これは中核派にとっては打撃でした

実は、彼らは私を大学生と認識せず間違ってターゲットに選定してしまったのです。

彼らは致命的な墓穴を掘りました。

私たちは1万部もの「東北大学生新聞」の号外を作成し、徹底的に学生と教官、マスコミ各社に配付しました。

この事件は社会的にも反響を呼びました。

これを境に、教養部から中核派外人部隊(職業革命家)」の姿は消えました

中核派との死闘は山場を超えたのです。

 

■■■第六章 恩恵(おんけい)

教養部を除籍になるも、マル経教授に助けられる

1)教養部掲示板に「除籍者名簿」が張り出される

東北大学は教養部を4年以内に所定の単位を取得後、学部に上がれなければ「除籍処分」という決まりがありました。

私の教養部4年目の3月。教養部掲示には、私の名前も記された「除籍者名簿」が張り出されました。


2)私はドイツ語授業に出席できなかった。

私はドイツ語の単位を出席日数不良で取得できませんでした。

なぜなら、そのドイツ語の授業に教室に向かうと、必ず毎回「今井」とは別の中核派の専従メンバーが入り口の外で待機していたからです。


3)君はまだやる気はあるか。

担任の大学教授に「退学する旨」電話で挨拶をしたところ、「すぐに教授室まで来なさい」と指示がありました。

教授室を訪ねると「おまえはまだ大学で勉強する気はあるか」と質問がありました。

「もちろんあります」と答えたら、「それなら私にまかせなさい。すぐにドイツ語の先生に電話をして直接会いにいきなさい」と指示されました

無事にレポート提出で単位を取得し、その後、掲示を見に行ったら除籍者名簿」から私の名前が消えていました


4)担任教授からの最後の訓示

私の担任の岡本教授は「マルクス経済学」の教授でした。

この担任教授は、私が「原理研究会」に所属していることも、置かれた境遇もすべて知っていました。

私が菓子折を持って、お礼に伺うと、その岡本教授はがいいました。

『君、学部にいったら心を入れ替えて真面目に勉強しなきゃダメだ。マルクス経済」はもう古い。経営学」を真剣に学びなさい。』

 


■■■第七章 改心(かいしん)


その1:「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」

1)工事現場のヘルメット姿の作業員に驚く

工事現場でヘルメット姿の作業員を見た時、瞬時に心が硬直し、呼吸が荒くなりその場に立ち尽くしてしまいました

私には「ヘルメット」姿の作業員が、自分を襲撃してくる「中核派」に見えたのです。


2)NHKの特番でベトナム従軍兵士の心の病を特集

NHKの特番でベトナム従軍兵士が精神的に極度の緊張感から「PTSD(心的外傷後ストレス障害」を発症し精神科で治療する映像を見ました。

ああ私と全く同じ症状だなと思いました。

私は自分が教養部での極度の精神的な緊張とストレスが原因で「PTSD(心的外傷後ストレス障害」になっていたのです。


その2:「神様から帰ってきた答え」

1)なぜ「PTSD」になったのかを神に尋ねる。

私は、なぜ私がこのような心の病になってしまったのかを神様に祈り求めました。

その結果、神様から与えられた答えはつぎのような内容でした


2)共産主義者」の滅亡を願ってはならない。
「放蕩息子」だがみんな私の子供である。

サタンの罠は「恐怖心」と「怒り」です。

私はいつしか、「ヨナ記」のヨナが宣教した「ニネベ」の滅亡を待ち望んだように、「共産主義者」の救いを祈ることを忘れていました

地上から「共産主義者」が滅亡すればいいと彼らを「恨んで」しまったのです。


3)共産主義者」の改心を祈れ。神を信じさせよ。自分達より先に祝福に導け。

極限状態の過酷な迫害の中で、敵を許し、彼らの祝福を祈ることが出来るものでしょうか。

私たちは「汝の敵を愛せよ」と、カルバリ山上の十字架の露と消えた、イエスキリストの姿を仰ぎみなければなりませんでした

裏切る弟子と極悪な共産主義者に監獄へ送られながらも「彼らを許し給え!」と興南監獄の試練をみごとに乗り越えた、お父様の心情世界を尋ね求めなければなりませんでした

エス様や真のお父様の心情世界を、真剣に祈り求めるべきだったのです!

 


■■■結語


結局、私は「勝共活動」が神様の愛する放蕩息子を伝道する聖なるみ業であることを、まったく理解していなかったのです。

この神様の答えを知った時に初めて「勝共運動の原点」を知りました。

単なる「活動家」になれば、永遠の命を失うのです。


そして、はじめて心から「改心」し、再出発することが出来たのです。


おわり

 

 

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